#64(記録)芸術文化観光専門職大学(CAT)学生たち「共に暮らし柿落とす」

              2023年5月13日(土)

        テーマ:「共に暮らし柿落とす」
        ゲスト: 芸術文化観光専門職大学(CAT)学生たち
            【シェアハウス「江原_101」住人】

開始時間が来る。ゲストも参加者も、その時に居る場所で、さりげなくセッションが始まっていく。

今回の進行役は、このシェアハウス「江原_101」に住むWさん。
(寮長のような役割。但馬コネクションのスタッフでもあります)

「私たちの生活を私たちなりにお伝えするために、多数の映像・パフォーマンス・造形物を駆使して居住空間全体を彩りました。これから皆さんには江原_101を自由に移動していただきます」

浴室、キッチン、2階共有スペース、階段前など、住人それぞれの思いに分かれて、10分間のパフォーマンスを披露する。

一緒に暮らしているけれど、一緒に行動することも、それぞれで行動することもあります。ご飯はそれぞれで食べてるけれど、学校は一緒に行ってます。

好きなことも、嫌いなことも、してきたことも、したいことも、決して揃うことはありません。しかし、私たちは江原_101に住んでいます。

この家が、私たちの接点となり、私たちを繋いでいます。

パフォーマンスの後はCATの同級生や後輩たちも参加して、各学生の自己紹介の場になる。教授陣も参加して、シェアハウスのこと、本日のパフォーマンスの感想などを披露し合いました。

#63(記録)GARAGE(建築家集団)「建築・映像・演劇〜空間と時間を往来しながら」

2023年4月15日(土)
テーマ:「建築・映像・演劇〜空間と時間を往来しながら」
ゲスト: 建築家集団 GARAGE(ガラージュ)
    【小田切駿 氏、瀬尾憲司 氏、渡辺瑞帆 氏】

先月から新たに但馬コネクションの会場となっている「江原_101」。兵庫県立芸術文化
観光専門職大学(略称CAT)の学生のために改築されたシェアハウスです。一見すると築数十
年の普通の民家だが、一歩足を踏み入れると外観からは想像もできない空間が広がる。ど
んな人がどんな思いでこの空間を作ったのか。今回は設計した建築家集団GARAGE(ガラージュ
)の3人をゲストとしてお迎えしました。

 ガラージュは、建築・映像・演劇に関わるアーキテクト・コレクティブ(建築家集団
)。2016年に早稲田大学理工学術院建築学専攻(大学院)を修了し、それぞれキャリアを
積んだ後、2021年に同期3人で設立した。合同会社の拠点はここ江原(豊岡市)に置き、
東京との2拠点で活動しています。

左より 小田切駿氏、瀬尾憲司氏、渡辺瑞帆氏

 設計の中心を担う小田切駿 氏は、金沢21世紀美術館などを手掛けたSANAA(妹島和世&
西沢立衛の建築家ユニット)で経験を積み、現在は早稲田大学建築学科の講師も務める
。SANAA時代に手掛けた日本女子大学図書館、山形県鶴岡市ホールは、建物と環境がどう
影響し合うのか、空気的な連続感を作って建物を一体化していくことを考えた。例えば、
ホールは本来音環境のために完ぺきに閉じたものを作らなければならないが、それを街の
中に唐突に置いてしまうと街にも圧迫感が生まれる。街とつながることで建築が開放され
たり、変化する環境を受け入れていく建築を目指す。

瀬尾憲司 氏は、YKK窓研究所出身で、建築映像作家として活動。建築は写真で見ること
は多いが映像で見ることがあまりないので、映像でどう伝えていくか考えている。2月に
東京で企画した「建築映画館2023」は4日間の映画上映&トーク全て満席で大盛況裡に終
えている。

渡辺瑞帆 氏は日高町江原在住の劇団青年団員。豊岡市の「地域おこし協力隊」として移
住し、江原河畔劇場の立ち上げに参画。富山県利賀村円形野外劇場で『世界の果てか
らこんにちは』を鑑賞し、環境の変化と人の体、言葉が混然一体となって共有される特別
な経験に刺激を受ける。広い視野で物を作る仕事ができればという思いで、自らを舞台美
術のなかでも印象や空間そのものをつくるセノグラファー(Scenographer)と名乗る。豊
岡でも大規模に町とかかわりながら演劇祭などで活動している。

■ガラージュの主なプロジェクト

演劇学生のための芝居小屋シェアハウス「江原_101」
 なぜか「芝居小屋」と名付けられたシェアハウス。但馬コネクションの会場にもなって
いる。設計時には住む学生が決まっていたので、どんな風に住みたいのかワークショップ
的に話し合ったそうだ。どうせなら面白く住み切りたい。自分の部屋は小さくてもよいの
で、共同で住むことをいかに面白くするか、共用部をいかに豊かに作るかという点は共通
していた。みんなで安心して集まれる居間を中心に、水回りはしっかり。それ以外は大胆
にそのままに。最小限快適にする部分とダイナミックな共用部を切り分け、メリハリをつ
けた。前の道路から円山川まで視線が抜けていくことを大事にした。天井を剥がし、吹き
抜けのまま残すことで、勾配屋根に覆われた共有の空間ができた。どこにいても大きな小
屋の中に居るような感覚。それぞれが過ごしたいように居れる街のような空間が生まれた。


ドーモ・キニャーナ」改修 
 1993年に竣工した象設計集団設計の住宅の改修工事。「江原_101」と同様、町と自然の
風景の境界線に建つ家である。竣工時、これからも自分たちで作り替えていくように言い
残されたとのことで、10年ごとに増改築を重ねてきた。30年目にあたる今回は3階部分の
増築である。
 建物全体の考え方を知るため、工事中の図面から構造の模型を作って分析し、どのよう
な空間を作るか話し合って全体の図面を新しく描いた。街にあるものを収集、参照して作
られた家で、川側の曲面屋根は円山川から飛び上がった魚をイメージしている。様々な要
素が混在しているので、それを読み取りながらフィールドワークした。家が大事にしてき
た風景のつながりを大切に。住まれ続けてきた歴史や時間にいかに応答していくか考えな
がら取り組むことが学びになった。円山川への視線、風景の抜けをより強くするため、仕
切られていた壁と部屋を最小限解体して空間を一体化。どこにいても家の大きなコンセプ
トのなかに居るような、空間的なつながりを生み出した。

豊岡ではその他、芸術がどう社会とつながっていくか、実際に街にどういうことができ
るのかという視点で旧商業施設の活用を考える「新しいひろば計画」や、鞄クリエイター
のためのスペース「Apartment」などを手掛けている。

キッチンの飲み物コーナー。

「建築映画館」のプロデュース
「建築映画館」は、建築に関係する映画を上映する映画祭だ。4日間のプログラムはす
べて満席の大盛況。単に上映するだけでなく、建築と映像双方の分野のゲストを呼んで、
映画に登場する建築物の裏話などを語るトークショーも開催する。中心となっている瀬尾
氏は、映画に出てくる建築物の図面を起こす、映画の中の空間を模型として起こす、図面
を観ながら映画を観るなど、一般人には思いもよらない楽しみ方をされる方だ。その道の
方々にはたまらない企画ではないかと想像される。映画で背景として映る建築に目が行く
ようになると、日常生活でも街を見るときに気づきが増えるそうだ。そんなふうに、面白
いと思えるポイントがいろんな人に広がっていくことも狙いだ。

お菓子はすべてスタッフ手作り

「100年かけて劇場をつくるプロジェクト」
 喜界島は、海底のサンゴ礁が隆起してできた島で、地盤全体がサンゴの化石でできてい
る。この島に「劇場」を作るプロジェクトである。「劇場」とは、いわゆる劇場でもあり
ながら、地域の人や研究者が交わって議論して未来のことを考えたりする場所を指してい
る。なにしろ100年かけるのだから、最初の数年はフィールドワークからのスタートだ。
模型を作り、模型に映像を投影してヒアリングしながら、この取り組み、運動を100年続
けるにはどうしたらいいか考えている。

第2部の茶話会風景

先人の建築のみならず、自然や街の営みをリスペクトし、様々なことを網羅して学びな
がら進化を続けるガラージュ。今年の10月20日から30日まで開催される「Under 35
Architects exhibition
35歳以下の若手建築家による建築の展覧会2023
」に出展することも
決まっている。

但馬からもいろんな形で応援していきましょう。

#62(記録)「但馬の自然〜鳥屋から見たその多様性」高橋 信氏

2023年3月25 日(土)
テーマ : 「但馬の自然〜鳥屋から見たその多様性」
ゲスト : 高橋 信(NPO法人コウノトリ市民研究所 理事)

新会場のシェアハウス「江原_101」スタジオ。

2019年12月のセッション以来、実に3年ぶりの開催です。新型コロナウイルスの感染拡
大以降初めて。会場もドーモ・キニャーナからシェアハウス「江原_101」に移るというこ
とで、どんなセッションになるのかスタッフもドキドキしてこの日を迎えました。

受付が始まると、「こういう機会を待ち望んでいた」と参加してくださった懐かしい皆さまが。
本当に嬉しい再会でした。

記念すべき再開初回のゲストスピーカーは、NPO法人コウノトリ市民研究所理事の高橋
信さんです。高橋さんは、但馬コネクション第1回セッション(2013年だから10年前!)
でもお話いただきました。コウノトリ市民研究所は、市民の立場で但馬の自然をさまざま
な角度から観察し、発信・行動し続けておられる但馬の宝です。それぞれご自身の専門を
「鳥屋」、「虫屋」などと表現されていることもあり、今回のテーマになっています。最
近は「粘菌友の会」なるものもできていて、高橋さんの守備範囲も広がっているとか。

豊岡盆地以外に目立った平野がなく、短い距離で森川海がつながっている但馬の自然。
そんな但馬を訪れる四季折々の渡り鳥を中心に、植物や虫も含めて120枚もの写真を見な
がら解説していただきました。

毎年同じように渡ってくる鳥もいれば、生息環境が変わってしまって見つからなくなっ
た鳥、逆によく目にするようになった鳥など、長く観察しているからこその気づきがたく
さんあります。特に温暖化の影響は顕著で、以前なら沖縄あたりでしか見られなかった南
方系の鳥も見られるようになってきているとのこと。

里山が放置されて暗くなり、山奥まで入らなくても見つかる鳥も出てきているそうです。
それにしても、私たちも日々同じような景色を眺めているはずなのに、読み取れる情報量
の違いに驚かされます。

今回から昼間の開催ということで、セッション後はお茶とお菓子をいただきながら今日
の感想など伝え合いました。スタッフと学生さんによる手作りお菓子は大好評で、これか
らもいろんなお菓子に挑戦したいと張り切っています。こちらもどうぞお楽しみに!

今回からは、シェアハウスの住人でもある芸術文化観光専門職大学の学生もスタッフとして
参加してくれています。北は岩手、南は沖縄まで、まさに全国各地から豊岡に学びに来ている
若者たちです。

但馬を知り、但馬で出会い、但馬を愛する人たちが集う但馬コネクション。
これからも「知的ネットワーク」を広げていきます。

#61(記録)”Jazz Night in Tajima Connection”

2019年12月20日
“Jazz Night in Tajima Connection”
ASAYANAGI featuring AKIKO YABIKI

                ASAYANAGI featuring AKIKO YABIKI

   田中愛子(piano)        勝地哲平(guitar)       矢引明子(vocal)

#60(記録)「但馬に大学をつくる」平田オリザ氏

2019年11月15日
テーマ : 「但馬に大学をつくる」
ゲスト : 平田オリザ(劇作家・演出家)

但馬コネクションも今回で第60回を迎えました。これまでお呼びしたゲストは、但馬内外がほぼ半々。但馬コネクションこそが、「誰かが誰かを知っている」「新しい価値観で繋がり」「出入り自由な風通しの良く」「自分たちでつくり、自分たちで楽しむ、出会いと創造の場」である『新しい広場』(by平田オリザ)になっていると自負しています。
今回のゲストはそのオリザさん。3回目の登場です。今回は歓迎の意味も込めて「豊岡市民の」平田オリザさんと紹介させていただきましょう。

10月に専門職大学の申請が終わりました。これは但馬の3市2町が請願をしてできた県立の大学で、普通の4年制大学です。日本には、演劇をやっている国公立の大学がなく、演劇界の悲願でした。これが実現するなら豊岡に引っ越してきますよと言ってしまい、現在に至っています。県庁準備室には但馬・豊岡の出身者が配置され、スピーディに話が進みました。

豊岡は、「コウノトリでも生きられる」環境と経済のまちでしたが、次は「アーティストでも生きられるまち」が加わります。アーティストのような人間でも生きられる。だから安心してこのまちにきてください、というわけです。

KIACの成功
城崎国際アートセンターは、以前は城崎国際会議場という典型的なお荷物施設でしたが、これが市に払い下げられることになった頃、豊岡を訪れました。素晴らしい街並みが残る城崎と大会議場のギャップ。「まあ、がんばれば大丈夫なんじゃないでしょうか」と言ったところが「平田さんが大丈夫と言っている」と伝わってしまい、リニューアルに関わることになりました。

レジデンスに特化した国際アートセンターとして模様替えした結果、わずか20日だった年間稼働日が330日になりました。世界中の団体から申し込みが来ています。来年度は20数か国80団体から申し込みがあり、この中から15団体を選ぶことになっています。応募団体はほぼ口コミで集まっています。

演劇やダンスに特化したアーティストインレジデンスは世界を見渡してもありません。普通なら滞在費だけでも大きなお金が必要ですが、ここでは滞在費無料で制作に取り組むことが出来ます。そして、パフォーミングアーツは完成後世界中で上演され、城崎のクレジットが必ず入るので、口コミで広がっていくのです。アジアでは、KIACに選ばれたことで助成対象になる国も出てきました。

短期的な成果は問いません。城崎は、『城崎にて』だけで100年やってきたまちです。志賀直哉だけでなくいろんな文人墨客が各旅館に滞在し作品を残してきました。パフォーミングアーツのアーティストによって今度は城崎が世界に広がっていくと若旦那たちと話しました。

毎月のようにトップクラスのアーティストが滞在するので、子どもたちはそれを肌で触れることができる。まさに「この町で、世界と出会う」ことができています。

豊岡の教育政策
豊岡では、コミュニケーション教育の柱として、演劇教育を市内38の全小中学校で実施しています。
教育・子育て政策がきちんとしていないまちは、IJターンに選ばれません。これまで言われてきた「雇用」は十分条件ではなかったということです。工業団地誘致は、男性目線でしたが、女性は、子育て、教育、医療、そして広い意味での文化に惹かれて来ます。

豊岡市が主催して東京で演劇ワークショップを実施したところ、キャンセル待ちの人気でした。関心のある人がピンポイントで来てくれて、そこから口コミでどんどん広がります。演劇は、今、注目されている「非認知スキル(=学ぶ力)」を伸ばすのにも有効とわかっています。

親による子どもへの働きかけと子どもの学力の関係を調べた調査があります。家に本があったり、博物館や美術館に連れていく習慣があると、学力が伸びることがわかっています。英語や外国の文化にふれるように意識することも、世界や科学に関心を持たせることにつながるため、自分で学ぶ力が付き、成績が上がります。

こういったことは、放っておくと東京が圧倒的に有利になりますが、豊岡では公教育の中で保証していきます。

英語教育でも、すべての小学校にALTが配置されています。

ただし、豊岡の考える「グローバル教育」は、世界で戦える人材を育成するためのものではありません。豊岡を世界的に有名にするための教育なのです。東井義雄さんの「村を捨てる学力、村を育てる学力」という考え方がありますが、文科省の推進するグローバル教育は、国を捨てる学力です。村を育てる学力とは、「自らの共同体を守り、発展させることのできる学力」といえるでしょう。教育の質を変えていく必要があります。

豊岡だけでなく、但馬地域のほとんどの高校で演劇教育を導入する予定です。大学入試改革で、国公立の3割がAO入試になるので、コミュニケーション能力は必須です。共同で学べる力が必要となるのです。ほとんどの進学校はこれに追いついていず、但馬が先行しています。

国際観光芸術専門職大学
国際観光芸術専門職大学(仮称)は、定員80人、全学でも320人の日本で最も小さな公立大学です。演劇とダンスの実技が本格的に学べる日本初の公立大学ですが、「こんなところに先生が来てくれるのか?」と言われていました。ふたを開けてみると、何十倍の倍率で40名の教員団が決定しました。中でも、スウェーデン王立バレエ団でプリンシパルを務めた、ダンス界に知らない人はないダンサーの方が、夫婦で豊岡に移住してきます。

「観光」と名の付く大学も日本初ですが、観光と文化がバラバラなのは日本ぐらいなのです。

ウィーンのオペラ座では、毎日違うオペラを上演するように法律で定められています。ウィーンに数日滞在して毎晩違うオペラを観ます。昼は他の都市を観光し、夜にはオペラを観に帰ってきます。富裕層なので、経済効果が非常に大きく、税金で毎日違うオペラをやってもペイできるのです。ヨーロッパでは、どうやって滞在してもらうかに知恵を絞っています。昼と夜では、7~10倍経済効果が違うからです。

家族で旅行するので、家族で楽しめること、子どもと一緒に楽しめること、参加体験型のもの、ハイカルチャー・ハイスペックなものを意識しています。シンガポールも、実はカジノを作ったのは最後でした。シンガポールドルが高くなり買い物の魅力がなくなったときを見据えて、クラシック好きが何度でも来るまちにしていきました。
私は、観光について最も詳しい劇作家だと思います。以前受けた官僚からのレクチャーがいきています。

豊岡市の観光の課題と専門職大学
豊岡市の観光は、城崎がエンジンになっていますが、竹田城、出石、湯村、神鍋、氷ノ山などとの回遊性が欠如しています。また、一泊二食2万円の旅館モデルにも限界があります。海外からの富裕層の長期滞在を呼び込むには、国際観光都市への発展が必要です。それには、昼のスポーツ、夜のアートが必須条件となります。このような企画・運営のできる人材を育成しようというのが専門職大学です。

受験生だけで1000泊、オープンキャンパスで2000泊、入学式、卒業式、発表会で1000泊、学会誘致などで500泊の宿泊が見込まれます。観光業への経済効果大です。

大学は完全クオーター性で、講義・演習のほか、実習・集中講義・留学で学びます。観光やアートには集団生活が必要なので、1年次は全員学生寮に入居します。

豊岡市の子どもは、小学校二年生全員が演劇を観劇。小学校六年生で狂言を観劇します。おんぷの祭典でクラシック音楽に触れ、KIACでの無料観劇や、市民プラザでの演劇創作体験もあります。さらに大学も、ということになります。

日高河畔劇場と国際演劇祭
豊岡では、学習機能(鑑賞事業)を市民会館・永楽館、交流機能を豊岡市民プラザ、創造・発信機能はKIACというように、水平分業しています。豊岡市全体で機能分担する形です。人口が2番目に多い日高には何もありませんが、来年3月に日高河畔劇場ができます。

この劇場では、国際演劇祭を開催します。今年、第0回の演劇祭を実施しましたが、想定の1.5倍ほどの集客がありました。「観光地のポテンシャルをアートで引き出す」と教科書に書いてあるのですが、教科書通りうまく行きました。

アビニヨン演劇祭は1か月にわたって開催されますが、正式招待以外にフリンジといって自由参加できる枠があります。世界中からプロデューサーが集まり、すぐに商談が行われるという、見本市的な役割を果たしています。

日高では、神鍋高原などを利用し、アジア初の本格的なフリンジ型の国際演劇祭を開催します。開催には劇場と宿泊が必要ですが、幸い豊岡には、あらゆる階層が宿泊できる宿泊施設があります。このような環境は、アートフェスや演劇祭で一番活かせます。また、成功のためにはネットワークが必要ですが、KIACが既にネットワークを持っているので、それを活かして呼ぶことができます。

専門職大学の学生は、有償ボランティアとして参加します。ICTを利用した地域通貨の開発をKDDIと、拠点間の移動システムの開発をトヨタモビリティ基金と連携して進めます。演劇祭期間中なら相当思い切った実験が可能です。第0回から、JAL、トヨタ、KDDIがスポンサーとなってくれています。

やりたいのは、人間の顔をしたスマートシティの実現です。便利になれば幸せになるわけではない。便利になればなるほど人は不幸せになります。何のために便利にするのか、理念が必要です。ここでは、「アートを観に行くために便利にする」という理念で進めていきます。

5年でアジア最大、10年で有数の演劇祭にしていくことが目標です。豊岡には無理と言う人もありますが、アビニヨンは人口89,380人、豊岡は79,067人、カンヌが70,400人です。この規模でないとだめなのです。

尊敬する植村直己さんの故郷で人生最後の冒険に臨める光栄に震えています。そろそろ私を信じていただければと思います。

#59(記録)「竹野はいいぞ!〜但馬の自然と暮らす〜」本庄四郎氏

2019年10月18日
テーマ:「竹野はいいぞ!~但馬の自然と暮らす~」
ゲスト:本庄四郎(但馬自然史研究所 代表)

司会:
本庄さんは、生物調査、環境保全、子供の自然体験教育、豊かな自然を次世代に残し、地域活性化を目指すNPO法人「但馬自然史研究所」で活動中。豊岡市の「子どもの野生復帰」活動の先頭に立ち、時には「大人の野生復帰」の指導も行う。

本庄さんの語りをまとめた冊子『但馬の自然と遊び』(但馬学研究会「但馬カルチャーVol.6」1998年発行)の中で、「遊び」とは「定義によって違うが、但馬の自然と遊ぶ中で、生きていて本当に良かったという時間。あるいはその気持ち。」と述べていらっしゃる。さらに「都会は全部がんじがらめで自分では、何もできないところ。」「田舎では水がどこから来て下水がどこに流れていくか、電気がどうなっているかも知っている。自分の存在価値が高い。最も進歩的な生活が実は田舎にあるのではないか」と提唱する。

今回のセッションでは、そんなところをベースに本庄さんのお話しを聞いていただければ、と思います。

竹野はいいぞ~!!
竹野のいいところは、遊びと暮らし。僕にとって生きていることが遊び、仕事と遊びの区別がつかないところ。

宇日(うい)の活動を駆け足で紹介します。
宇日(うい)は、四季いつでも美しいけど春はとくに美しい。ジオカヌーが楽しめます。6月にはスノーケリングが始まり、海藻だらけ。7月には雨がたくさん降って海に注ぐ滝が見られます。8月には村岡高校の地域創造学科の生徒も来てくれます。9月は長距離、カヌーで一番長いコース15㎞を行きました。浅いところに熱帯魚のいる世界が宇日。
フランス語のoui(ウィ)、We(ウィ)are the world なんです。

猪と鹿のソーセージ。(いのしし)は一番(いの)美味しい肉(しし)という意味。

鶏を飼っていて、大寒卵(だいかんたまご)は、冬の一番寒い時に産む希少価値のあるもの。卵の写真が世界中でインスタグラムが大流行していたみたいで、まるでうちの卵の写真が世界中を巡りまわっていたみたい。(笑)

私の目指しているところ
私の職業はネイチャーガイド、自然体験教室の企画実践。目指していることは、身の回りの生き物の記録。生き物の名前はみんな知りたいです。

自給自足的有畜小農。田舎暮らしの聞き書き。宇日のおばあちゃんたちに集まってもらって暮らしをしゃべってもらう。生き延びるための等身大の技術を伝える伝承と普及。例えば、火が起こせる、竹が切れる、木が切れる。昔の人が当たり前にやっていたことが出来る人が減ってきているので、子どもたちに伝えたいなと思っている。

司会:
生き物の暮らしとかの話しだと、本庄さんは、蜘蛛(くも)博士ですよね。自然を相手に遊んでいるところがすごいですね。

僕の人生、蜘蛛(くも)が好き。蜘蛛の巣を張るものや張らない蜘蛛タイプのものもいます。アカイロトリノフンダマシ。可愛らしい蜘蛛。高校の時に夢中になっていた蜘蛛。竹野町小丸に夕方行って蜘蛛を観察していました。綺麗でしょう。目玉模様でびっくりさせるものなのかな?諸説あります。

今は自給し、小家畜と暮らす有畜小農
山羊(ヤギ)をずっと飼っています。僕を見るとシッポを振る。自分の食べ物は自分で作って、小動物を飼っているので、うちはゴミがないです。どうかしたいときは山羊のモモちゃんに。何に使うか?除草です。冬は笹や豆がらを食べます。糞をすると肥料になる。循環しています。牛乳を買うことはありません。ヤギ乳ばっかり、余ったらチーズを作ります。

鶏を飼っています
自分で育てた鶏の卵で卵かけごはんを食べたい。鶏を孵化させるところから半年かけて実現しました。ドレミファという名前。

鶏飼いも長い。出石からもらってきた鶏のオスには最初から名前をつけようと、「から揚げくん」「ローストチキンくん」「サムゲダンくん」、目標が決まっています。いじめられていた一番小さい鶏が最後まで残っていて、鳴き声は「じゃじゃじゃじゃーん」、ベートーベンみたいに鳴きます。

お米を作って、ドリンクも作っています。大豆畑。生育したらワインの瓶で豆を収穫。麦を炒り、石臼で挽いて麹を振りかけ、水を入れる。何ができると思いますか?醤油です。竹野のイカを自家製醤油で食べる。おいしいですよ。

大豆を炊いて、麹、塩を加えて団子にする。何ができるでしょう。味噌を作る。小麦は自家栽培していません。みんな雀(スズメ)の餌になってしまったからです。

生き物たちが教えてくれる
どこにも必ず生き物が生息している。生き物との共存。興味が持てないことがない。生き物にはそれぞれ群集があってコミュニティを作っている。一つのものがいるわけではなくて、食べるやつがいれば、それを食べるやつもいる。そのコミュニティを見ていると、それぞれ特徴が出ている。田舎には田舎の、里山には里山の。高い山には山のワンセットがいる。気になってしょうがない。

川ならその川の持っている健全性を示しています。このワンセットがいれば、この川、めっちゃええ川やん、ということになる。他の川に行って、あいつとあいつが居れへんな、ちょっとこの川やばいんちゃう。というような見方ができる。そういうのを環境指標、生物多様性。僕が大学の時に論文として、これを書いたのですが、クモの多様度、土壌性クモの多様度。

そういうことを常に意識せざるを得ない。農業していてもそう、子どもと遊んでいてもそう。生き物からのメッセージ、自分はそのメッセージを受け取ることが出来ているからだ。といつも思います。

子どもたちとの活動のきっかけは、小学校の校長先生から子どもら集めて何か面白いことをしてくれへんか?という依頼があった。大草原の小さな家のローラの物語を参考にして、石鹸をつくる。肉を焼く、油が灰にジュウジュウ落ちてくる。それを固めると洗い物の石鹸になる。スジ肉や脂身で子どもたちと石鹸を作ったのが始まり。

公民館からお声がかかり、子どもとやることが楽しい。たけのこ学園、スノーケルセンターでは土曜観察会から始まり、市が合併して子どもの野生復帰や環境学習に。生き物は遊びにとって必須で、不可欠なこと。生き物のとのふれあいは、核心の部分、ハートがある。

無名なものが好き
人があまり(研究を)やらないものが好き。蝶々(ちょうちょ)がおもしろいと今頃気づいた。土の下のゲテモノが好き。トビムシ、ササラダニ。目の代わりになっている胴感毛。日の目を見ないもの。何億といる。土の落ち葉を食べるダニ。私の興味の対象。目のないもの。土壌動物。

川の生き物。10月になったら見られるもの。鮭もそろそろやってくる。あゆかけ、石化けの天才。子どもの頃、自転車のスポークを直角に折り曲げて、竹に挿して、ゴムがないから、パンツのゴム。ヤスを作り、魚を捕まえていた。あゆかけを捕まえた時の感動。福井県では研究するところがないので、今年も竹野川に来ている。ヤツメウナギもいる。竹野では川と海を行ったり来たりする名前のない生き物いる。絶滅危惧種がたくさんいる。川歩きを増やすことが川を守ることにつながる。

里山の生き物~人の暮らしと共に~
猪(いのしし)が暴れた跡にコウノトリが来ている。草刈が出来ているところに彼岸花が見える。草刈が出来ていないところは、姿を隠している。ハクビシン、今年はトマトが食べられなかった。柿の中身だけなかったから、餌にして仕掛けたら捕獲できた。

次は、海の生き物。2005年の朝、渚に100匹エチゼンクラゲが揚がっていた。死滅回遊魚が竹野にはいます。アメフラシ、食べられる。イルカが100匹来ている。カツオカンムリ、イカナゴは、夏は砂に潜って寝ている。ヤマトメリべはウミウシの仲間。近寄るとグレープフルーツの匂いがする。

ひかる生き物がいろいろいます。ウミボタル、ミジンコの一種。夜光虫はプランクトンで5月の波が止まる時に夜、光ります。リュウグウノツカイの隣に寝そべっている彼はレシピとして1冊の本を書いた。個人的にはオレンジの肝が美味しかった。

里山のかかえている問題(イノシシ、シカが増えている・・・)

しばらくペーパー猟師だったが、罠、くくり罠を広い場所にかけるとかなりの確率で猪(イノシシ)が掛かっている。この大きい猪と5時間格闘した。やがて肉になる。かなりの人が助かる。シシかつ、シカとイノシシをミックスしたソーセージ、シカは竜田揚げ、イノシシのバラ肉はお好み焼きにするとうまい。

バイオリージョナリズム(生命地域主義)
人間の暮らしている場所と川、里山、田畑、一つの循環系(生態系)で生きているという感じ。竹野をつくっている。

語り部たちから教わる。
直撃インタビューを広報紙に載せていた。原稿にしたことは少しだが、たくさんの話しを聞いてきた。70代の人はあまりにも何も知ってない。80代以上の人がモノを知っている。炭焼きの人、海藻で鶏を育てている人、北野屋さん牛飼いの方・・・。

背負子の編み方、知っている人がいない。みなさんの知識はお一人が図書館1~2館分くらい、市がそろそろ記録をとらないと。身の回りの自然をしっかりと把握して暮らす。 僕たちにとって、5km圏内の話、台風や風で塩が飛んでくる。毎日知らないことばかり。毎日散歩しているところに現れる。

ナマコの茶漬け。うまいぞ~。海藻のソゾ。春の野草を食べる会。夏は、サツキマスをスモークして、パスタに。子どもたちと鮎を突く。60℃の石の上でアユを開き干しに。

 海藻は目の前にうじゃうじゃ。赤いのがスギノリ。うまい!カヌーの長距離の時は、途中でカメノテとスギノリで味噌汁。オコゼは刺されるということもあるが、オコゼ汁、刺身まで。

子どもたちと竹の切り方、利用の仕方。「ノコギリを持ってきてくださいなんて」授業はないでしょ。「明日から3日間水路を掘ります。現地集合、泊まってもいいです。」って学校があればいいのに(笑)こんど養父市でロケットストーブやります。ロケットストーブでサザエのつぼ焼き、調味料はいりません。海水だけで美味しい。

 昨年までものすごくきれいな散歩道だったのに今年は荒れてしまっている。管理している方が入院されているようで、外来植物がチャンスを見つけてパイロット的にどんどんやってくるという事態が起きている。1年起ったら・・・10年先が見えてしまう。本来なら雪が降って、色々ものが鎮圧されてリセットされて次の春の順番待ちしているが、草刈がしてないと、今までと変わってくる、という残念な未来が見えてくる。

さあ 遊ぼうぜ!

私たちの暮らしが景観をつくる
耕作放棄地がどんどん増えて来ていて、どうするかというのがこれからの鍵になります。これも耕作放棄地、これからは子どもたちにどんどんビオトープで遊んでもらう。荒れ放題だけど、川を歩くだけで川がきれいになる。歩くだけ、歩く川掃除。遊びましょう。但馬で暮らす。遊びながら暮らす。生き延び方を子どもたちに教えないと、我々の未来はない。子どもたちの未来もないと思います。

カニがスマイルで言っています。

#57(記録)「ビールの時間ですよ〜」川面克行 氏

2019年6月21日
テーマ: 「ビールの時間ですよ~」
ゲスト: 川面克行氏 (アサヒグループホールディングス株式会社 社友)

アサヒビールの醸造部長としてビール一筋に歩み、副社長まで務められた川面さんに「これぞビール」を語っていただきました。

ビール豆知識
ビールに使われる麦は二条大麦。ホップはすべて雌株を使用します。日本で主流の生ビールは熱処理されていないビール。ではラガーは熱処理されているのかというと関係なく、低温で長期醸成されるビールがラガービールと呼ばれます。ビールの小売価格の45%は税金。ビール造りは古代エジプトで5000年前に始まりましたが、日本に伝わったのは江戸時代。

ビール瓶が茶色く着色されているのは、ホップ成分と紫外線の化学反応によって日光臭という不快な臭いをふさぐため。瓶ビールの633mlという容量は、は昭和15年の酒税法制定の際に当時使用されていた一番小さいものに統一して決まったものです。酒類のテレビCMは午前5時~午後6時まで自粛するとビール酒造組合の自主基準で決められています。

「ここでクイズ10問です」と。
ビールに関するクイズで一気にビールの世界へ!
知らないことだらけでした!

グラスに注いだビールの泡を少しでも長持ちさせるには?

皆さん興味津々。
少し上から注ぐ、しばらく待つ。うまく傾けて下の液だけ飲み、注ぐ。また下の液をすすりなおし、もう一度注ぐ。泡の上にタンパク質の粒子を作らせることで泡が長持ちするんだそうです。是非やってみてください!

ビールの起源は諸説ありますが、紀元前3000年メソポタミア地方のシュメール遺跡から記録が出ています。腐ったパンの汁のようなものをすすっていたようです。その後、バビロニア、エジプト、北ヨーロッパにも伝わり、中世になると教会や修道院でビール造りが広まります。そのうち、原料にホップが使われるようになりました。

1516年、ドイツバイエルンで「ビール純粋令」が交付され、ビール原料は麦芽、ホップ、水、(後に酵母)以外のものを使ってはならないとされました。当時のビールはメルツェンタイプで、夏場、衛生上の理由でつくることができませんでしたが、19世紀以降、リンデの冷凍機(低温熟成四季醸造が可能に)、パスツールの低温殺菌法(腐敗防止、工業製品化)、ハンセンの酵母純粋培養法の開発で、ピルスナータイプビールの製造が可能になりました。

ビールの歴史をちょっと振り返って
日本では、1853年に川本幸民が自宅で試醸したと言われます。1870年のスプリングバレーブリューワリ(…→キリンビール)を皮切りに、1876年に開拓使麦酒、1872年に渋谷ビールなど、各地に醸造所が立ち上がりましたが、合併を経て一時は大日本麦酒が75%の圧倒的なシェアを持つようになりました。しかし、過度経済力集中排除法により、1949年、大日本麦酒が日本麦酒(→サッポロビール)と朝日麦酒(→アサヒビール)に分割されます。3社の寡占が続いていましたが、1963年のサントリービールにチャネルを開けたことでアサヒビールは窮地に陥ります。熾烈なシェア争奪戦のなか、アサヒビールが夕日ビールと呼ばれるように。

新しい概念のビール
新しいビール、スーパードライのコンセプトは、辛口。DRYでした。これを技術翻訳すると、ビールの最終発酵度を上げる、アルコール度数を上げる、苦みを抑え苦みの質を上げるということになります。他社との差別化を図る決め手は酵母です。使用する酵母、原料の配合、仕込み条件などを吟味する必要があります。しかし、技術や伝統を変えることは簡単なことではありません。相当な設備投資も必要になるほか、酵母を変えることのリスクも読み切れません。

新商品は完成しましたが、経営会議ではリスクを背負うことに反対が多く、とりあえず100万函のみ販売してよいとの許可が出ました。昭和62年3月に発売し、その年に1350万函を売り切りました。当時の樋口社長が、金のことは心配するなと、1兆4000億の借金で設備投資し、工場設備能力を増強してくれました。

酵母が麦汁中の糖分を全部取り込んで分解すると雑味がなくなり、辛口になります。他のビールは甘味がけっこう残っていたので、消費者にすっきりわかってもらえました。アルミの地肌をそのまま使ったデザインもハマりました。中身と言葉が一致しているということで、最初は落合信彦のイメージ。その後、主飲者がおじさんから若い男性、女性に変わってきたことで、女性客の取り込みが必要になり、福山雅治にキャラクター交代しました。

スーパードライ発売から32年が経ちましたが、ビール香味の劣化との闘いは永遠の課題です。また、常に同じものをつくることの難しさもあります。ブランド力の維持、技術や技能の継承も課題です。今の若い人はソフトの使い方はわかっても、ビールの味がわからないからです。

ここからが本題。あなたは上手にお酒と付き合っていますか?
アルコールは胃から20%、小腸で80%吸収され、血液中で最後は炭酸ガスと水に変わっていきますが、早く変わる人、なかなか分解が進まない人があります。実は、分解能のあるなしは、血液中の酵素をつくれる遺伝子があるかどうかで決まっているのです。

アルコールが脳にどんなふうに作用するかご存知ですか。(抑制を司る)大脳皮質にアルコールが入ると抑制が解かれ、日頃と違う朗らかさが出たりします。(運動を司る)小脳から(記憶を司る)海馬に入ります。衝撃を受けると海馬が揺れて強い記憶となりますが、海馬にアルコールが入ると記憶がなくなります。その後、(生命維持を司る)脳幹に入ると、自動的な呼吸などができなくなることもあります。

お酒の強くない人はアルコールを分解できないので、脳幹まで行ってしまう恐れがあります。お酒は食事と一緒に飲むと、血中濃度の上がり方が緩やかになるので、食事と一緒に飲みましょう。

お酒に強い遺伝子を持っているかどうかは、エタノールパッチテストでわかります。エタノールを含ませた絆創膏を皮膚に貼り、7分後にそっとはがして、色が付くかどうか見てみます(A)。
そして、もう一度貼り戻し、また色を見ます(B)。

チェックポイントAで赤くなった人は、お酒を飲めない体質。
チェックポイントBで薄い色が付く人は、お酒に弱い体質。
チェックポイントA、Bで変化がなかった場合は、普通に飲める体質です。

アルコール依存症について
大ビン3本を毎日10年間飲み続けるとアルコール依存症になる可能性があります。鬱とアルコール依存症は同じように始まります。飲める人は特に注意が必要です。飲んだ量を少なくごまかして過少申告する人は、お酒に対する罪悪感があるということで、依存症の危険があります。依存症の見極め方の一つですので、注意してください。

ビールを愛するがこそ、心身を壊すことなく楽しんでほしいという川面さんのビール愛がひしひしと伝わってきました。

#56(記録)「食からもう一度健康を見直しましょう〜なぜ磁性鍋が生まれたか〜」河野武平

2019年5月17日
テーマ:「食からもう一度健康を見直しましょう〜なぜ磁性鍋が生まれたか〜」
ゲスト: 河野武平(株式会社性膳 代表)

マイクロ波を波長転換し、安全で自然の味覚を維持しながら調理できるという磁性鍋。磁性鍋の開発に駆り立てられた思いをお聞きしました。

昭和46年ごろから「食」に関わり始めました。昭和46年といえば、マクドナルドが日本に上陸した年です。食材をどうするのか。実はマックが始まって初めてレタスの産地ができました。また、マックは夏場が一番売れることから、真空冷却装置も必要になりました。真空冷却装置は当時日本になかったため中古の装置を入れてみるところから始まりました。最近では上勝町のいろどりにも関わるなど、地域おこしを兼ねた「食」について講演しています。

自然耕房あおきのご主人が亡くなってから、3年間で700日ボランティアに通いました。あの素晴らしい畑を失ってはいけない、食の問題を解決したいという思いからです。

日本はガンの罹患患者が増加しています。亡くなった原因よりも罹患の原因を調べないといけないのですが、そういった調査はありませんでした。2016年に初めて調査が行われ、今年発表になりました。しかし、日本にはデータはあっても読んで解析し、改善しようとする人がいません。

データを見ると、生殖機能に関するガンが急増し、全体の25%にまでなっています。10年前、乳がんや膀胱がんになる犬が多発しました。鴨川の河川敷の除草剤が原因と考え、宮内庁に手紙を書いて中止してもらいました。いま、除草剤を使っていない田んぼ、畑はあるでしょうか。わずか1%しかありません。また、すい臓がんも増加しています。 罹患後の寿命が一番短いガンです。

環境と食事の問題が大きいのですが、マスコミや厚生省はきちんと解析していません。

意味不明な認知症対策
高齢者が施設に入ると認知症が増えます。これは栄養計画に問題があるからです。施設では日本食品標準成分表に基づいて栄養計画がつくられます。栄養士はそこに書かれた栄養成分があると思って献立を作りますが、最近の野菜には書かれているほどの栄養がありません。経済的コスト優先で作られてきたからです。そのため、栄養失調になり、ミネラルの不足で症状が悪化するのです。

オーガニックが良い悪いではなく、イオン化されたミネラルがどのくらい入って栽培されているかが大事です。ミネラルが不足すると脳の起動、回転が遅くなり、認知症がスタートします。大幅な認知症増加について、食の問題なのに指摘されていないのが問題です。

がんは、複合的な自己免疫低下によって起こります。これらの要因を減らしていくことで病気が治る。まず要因を知ってそれを軽減することがすごく大事です。そのなかでも、「口径的な生活習慣からの要因」というのが食の問題です。食について無関心では自分の健康を保つのが難しい時代です。他人任せでも難しい。自分で改善していくためのプログラムを作ることが大事です。

自然のサイクルに沿ったリズムで生活することが大切。まずは空腹をしっかり知ることです。朝起きてお腹が減らないのは最悪です。人間は食べるために働いています。忙しいと言い訳せず、きちんとしたリズムで働き、自分の最適リズムを考えていくよう心掛けるべきです。

世の中には健康雑誌が判断していますが、肥満学会のトップがメタボの典型でがっかり。さらに、製薬会社の団体の支援で学会が形成されていることにも不信感を抱きます。商品を売るための本では、バイブル商法とドクターが結びついています。自分で研究していないことを書くドクターもいます。

高度医療は地域の健康に寄与しているでしょうか。MRIは1台で10億円。償却費、維持費がかかります。病院は、病人が増えないと儲からない仕組みになっています。いかに病気にならないかは大事ですが、他人任せではダメです。

食品関係の問題
生鮮食品が減り、惣菜売り場が増加しています。鮮度の悪いものや、丸ままではなくカットされた食材も多くみられます。味の感覚が落ちた分を調味料でカバーしている状況です。

鶏は180~185日で卵を産み始めます。500日で採卵減少し、廃棄処理されます(廃鶏)。後ろを向かず、土を踏まずに一生を終える鶏もいます。病気にならないように抗生物質がたくさん使われます。食物工場ではほうれん草を25日で作ることができます。こうした結果、農産物の品質が低下しています。経済を優先するからです。東京は人間もこの状態。

ロンドンオリンピックでは、「基本的にオーガニック」が基準でしたが、同じ基準では日本で食材を集めることができません。なぜオーガニックなのかというと、ミネラル補給できる食材でないと選手の体がもたないからです。日本で作られている食材では量を食べてもミネラル不足で選手がもたない。ミネラルはサプリメントではなくイオン化したものを吸収しないと意味がありません。

日本ではオーガニック農産物はわずか1%。あまりにも食材が悪すぎます。農家の側にも責任意識がありません。レベルが落ちている。健全な農産物を作り、供給していく責任意識が欠けていることが大きな問題です。日本は何よりも農業、農産物を変えないといけない。地域おこしは、本当は農業からやるべきです。日本の農業は除草剤と農薬で畑をつぶしてきました。これを改善し、有機農業に向かわないとミネラルや酵素が豊富な健全な農作物はできません。この問題には誰も触れようとしませんが、農業生産のありかたを見直さないと健康は維持できません。

なぜ日本で有機農業が持続できないのか。生産者は既存の農業に慣れすぎています。年金で暮らしている高齢農家ほど既存の農業を選ぶ傾向にあります。若い人が農業を支えないといけません。また、家庭で調理する人も極端に減ってきました。ここも改善する必要があります。オーガニックというのは、生産者と消費者が社会的モラルを共有しないと維持していけません。畑の手間3~4倍かかる一方、収量は半分です。このことを一般消費者と共有していかないと持続できません。サラリーマンもボランティアに行きましょう。

良い食材は畑に出ないと判断できません。一番美味しいときの作物というのは実際には供給できないのです。既存の野菜流通は、約30年前に中央市場の仲卸の人がやりやすいように、儲かるように作られたものなので、まったく新しい野菜の流通が必要です。作物にはもっと美味しい時期があり、微量栄養素の塊のようなものもあるのですが、流通に乗ることはありません。流通を変え、生育過程で眠っているものを起こさなければなりません。これは社会的モラルを共有しないとできないでしょう。

磁性鍋
磁性鍋は、電子レンジ専用の調理器具です。電子レンジは電磁波が出るから危険と思っていませんか。「電磁波」という言葉は、太陽から注がれる波長全部を指します。電磁波がないと、生命が成り立たない。電子レンジの問題は、マイクロ波の波長を使うことです。

電子レンジのマグネトロンは、アメリカで開発され、日本で製品化されました。アメリカ人がレーダーを浴びた時にチョコレートやガムが溶けたことから、調理に使えるとのヒントを得たといわれています。

日本では便利に使われている電子レンジですが、ロシアやドイツでは禁止されています。電子レンジの危険性の研究は日本ではされていません。電子レンジを安全に使うために考えて作ったのが磁性鍋です。酸化還元反応による加熱で古くなったコーヒーが元に戻るなど、21世紀の新しい科学を導入した鍋です。

ガス火力の場合、食材に影響するエネルギーは最大でも20%。その他は空中に飛散します。IHでも40%しかありません。その点、電子レンジはエネルギー転換効率が高いので調理が速いのです。

しかし、電子レンジには大きな問題があります。1つには、分子と分子の回転摩擦熱で温度が上がる性質を利用しているため、タンパク質の分子が切れてしまいます。異形タンパクによって食物アレルギーが起きる恐れもあります。実際、電子レンジの普及でタンパクアレルギーが増加しています。また、トランス脂肪酸や酸化・糖化が増え、ビタミンが半減するなど、栄養が破壊される問題もあります。さらに、溶けたプラスチック容器の成分が食品とともに口に入ることも問題です。

こういった問題を日本ではマスコミが書かないのでみんな知りません。マスコミにとっては家電メーカーが最大のスポンサーだからです。タンパク質のアレルギー疾患はレンジの普及とともに増加してきました。お母さんが電子レンジ調理に慣れすぎると子どもにも影響します。

食品には吸収できる波長が決まっていて、吸収波長でないエネルギーを与えても美味しくなりません。農産物は好天が続くと赤外の波長の影響で美味しくなりますが、吸収できる波長にシフトしてエネルギーを与えると効率的に美味しく調理することができます。一番波長の良いセラミックの中に、還元反応を起こすマンガンフェライトを入れ、吸収したマイクロ波を遠赤外線に転換します。マイクロ波の漏れはなく、全部吸収されます。そのままだとマイクロ波が飛び出す。電子レンジは、携帯電話の40~100万倍のエネルギーを使っています。

美味しい調理は科学的に証明することができます。磁性鍋を使うと、アミノ酸(旨味)が増え、美味しくなりますし、水を入れないので旨味が凝縮されます。だれでも簡単に調理できるので、みんなに調理してほしいです。「料理は科学」と教えると男性もやろうとします。ぜひ自分で調理してください。

#55(記録)「91年生まれ、台湾人」 江欣樺 (京都大学大学院 農学研究科地域環境学科)

2019年4月19日
テーマ:「91年生まれ、台湾人」
ゲスト: 江 欣樺 (京都大学大学院 農学研究科地域環境学科 専攻)

江さんは現在、京都大学農学部大学院生。2014年に台湾大学の大学院学生として、コウノトリ野生復帰について学びに豊岡を訪問。その後もコウノトリ国際会議のプレゼンに来日するなど、豊岡とご縁の深い方です。今回のセッションでは、研究とは離れ、知っているようで知らない台湾について紹介していただきました。

魅力いっぱいの台湾!
台湾は九州ぐらいの面積の国です。大阪から飛行機で2時間ぐらい。去年は200万人の日本人観光客が訪れました。気候は亜熱帯から熱帯です。この狭い国土に3000m超の山が269座以上あり、富士山でも10位ぐらいになります。使用言語が多く、人口グループもバラバラです。台北地下鉄のアナウンスは4カ国語です。

台湾では、太らせることがおもてなし。「こんにちは」は、「ジャバーベイ!(ごはん食べた?)」。24時間365日もぐもぐしています。バラバラでごちゃごちゃなのが魅力。マイペースで自由で、カオスが日常。お寺も選挙も、イベントになってしまう国です。

400年の歴史にほぼ全部外国政権!
17世紀からの400年の歴史は、ほぼすべて外国の政権でした。17世紀、北部はスペイン、南部はオランダでした。その後、明朝遺民、清国、日本と続きます。日本の統治時代には農業生産が増大し、ダムも作られました。1931年には甲子園にも出場しています。1936年から戦時状態になり、皇民化政策が始まります。日本語による教育が行われ、今でも日本語ペラペラのお年寄り多いのはそのためです。1944年には米軍による無差別爆撃(台北大空襲)が行われました。1945年の終戦で、同盟国による代理接収が行われましたが、独立させるのかどうか未定の状態に置かれたままとなり、現在に至る問題となっています(台湾主権未定論)。1945年からは国民党(蒋介石)による統治が始まり、軍事独裁、白色テロ、独立・民主運動とその弾圧などが繰り広げられてきました。

91年生まれ、で?
私の家族を紹介します。

祖父母は日本統治時代に生まれ、平和な時代を過ごしました。国民党嫌いで、政治についてはあまり語りません。

父は、大中国意識を持たされて民主化を追求してきた世代です。民主化と経済成長を体験しました。

91年生まれの私は、台湾の民主社会に生まれ育ちました。91年は、戦争状態の特別制度が廃止された年で、完全に民主制に移行しました。小学生のころ、大統領選挙や初めての政権交代も経験し、政治を取り戻す希望と期待が非常に高い時代でした。2006年には、大統領の汚職事件が全国デモに発展するなど、希望が壊滅しました。また、2008年、中国との関係を深化する政権交代が行われ、中国に飲み込まれる不安が高まりました。メディアが独占され、中国のニュースがガンガン放送されるようになりました。

ひまわり運動 
中国とのサービス貿易協定の批准に向けた審議をきっかけに、若者が国会議事堂を占拠しました。内部は非常に組織的で、その様子はSNSで拡散されました。デモに約50万人が集結した結果、協定は撤廃され、2016年には選挙で国民党が大敗し、民進党への政権交代が起こりました。このことは若者の政治意識を喚起しました。

運動を通じて成長してきた台湾の若者たち。運動のさなかには誇らしげでした。運動は組織的に行われ、ゴミも落としませんでした。「私たちは乱暴な者でなく、自分の未来を手にしたい台湾人だけです」。アイドルグループTwiceの台湾人メンバーによる謝罪事件も若者の愛国心を喚起しました。

生まれつき独立意識が高いこの世代は、「イチゴ世代」「天然独世代」と呼ばれます。台湾は、中国の一部ではなく島そのものが独立した台湾国であると考えています。政治参加にも積極的で、「意識高い系」若者が多いです。

しかし、2014年からの数年はひまわり運動で盛り上がりましたが、2018年の統一地方選・全国住民投票では民進党がぼろ負けしました。国民党の韓國瑜による反エリート、ポピュリズムが蔓延。中国側が政治行動を強めているし、フェイクニュースの影響も大きいです。

そもそもイチゴ世代のような人は少数派で、上の世代からは「外が見れない意識高いエリート」と見られています。逆にイチゴ世代から見ると保守派は「思考能力のない愚かな大人」に見え、世代対立が深まっています。

私自身もそろそろ踏み出そうと思います。友人が国会議事堂にこもっているとき、自分は参加せずに外でサポートしていて、これでいいの?と自問していました。日常会話に政治を話し、家族を説得するところから。情報の正確性をチェックして伝えるなど、絶望する前になんとかできることをしていこうと思います。

政治は、生きることそのものです。経済と政治は実は同じもので、毎日の生活が政治なのです。政府に文句を言う自由を失いたくありません。失われるともう戻れないものなら、みんなで頑張って最後まで守ろうと思います。

#54(記録)「アイヌ文化に惹かれて」吹田バーバラ(甲南大学ドイツ語講師・アイヌ文化研究者)

2019年3月15日
テーマ:「アイヌ文化に惹かれて」
ゲスト: 吹田バーバラ(甲南大学ドイツ語講師・アイヌ文化研究者)

ドイツ出身で神戸にお住いのバーバラさん。1年のうち3か月ほどは北海道でアイヌの人たちと過ごしておられるそうです。なぜそれほどアイヌに惹かれたのでしょうか。

6歳のときにいただいた花瓶に、小さい、着物を着た美人が描いてありました。見たことのない姿に心惹かれ、大切にしていました。アメリカインディアンの映画が流行ったときは、インディアンの衣装がかっこいいと思いました。デュッセルドルフ大学で建築を学びましたが、大学には日本人も多く、アメリカインディアンのような姿や髪の毛だなと思いました。その中の一人と恋に落ちて79年に日本を旅行し、奥深い文化と美しい自然に感動しました。そして結婚して38年になります。
子どもが親離れしたのを機に、ドイツ語を教えながら以前から興味のあった文化人類学を学ぶことにしました。1980年、テレビで偶然関野吉晴さんを見ました。関野さんは人類のたどった道を逆に、先住民族を訪ねながら10年かけて歩いた方です。武蔵野美大で教えている事を知り、学びに行きました。日本の縄文文化と北ヨーロッパの文化が似ていることに驚き、また、縄文とアイヌのつながりがあると新聞で知り、アイヌに興味を持つようになりました。

アイヌの衣装や工芸品を見ると、模様がヨーロッパのギリシャやケルトの模様に似ています。ヨーロッパではなくなってしまっていますが、日本のアイヌでまだ生き生きとしています。

アイヌには、カムイイオマンテというお祭りがあります。アイヌにとって、ヒグマは食べ物と毛皮を授けてくれる神(カムイ)です。その熊をイオマンテで神の国へ送り返す儀式です。実はゲルマン族も熊をとても大事にします。「生まれる」にあたる単語は「ベア(熊)」。ゲルマンとアイヌのつながりを感じます。「アイヌ」は「人間」という意味です。私は日本人にはなれませんが、人間(アイヌ)なんですね。

浦川太八さんのナイフ、マキリです。昔の材料で作ってあります。紐はシカのアキレス腱も使われています。
ドイツの女性は昔、小さなナイフを持ち歩いていました。アイヌのお母さんたちは針と糸。なんでも女性たちの手作りでした。女性たちは朝から晩まで働いていました。フクロウは女性の守り神と言われています。

≪そのほか、バーバラさんがこれまでに収集したさまざまな民芸品や衣装などを見せていただきました。≫

縄文時代の1万年間は戦争がありませんでした。災害があるので助け合わないと生きていけなかったのかもしれません。アイヌはそのころから日本列島に住んでいました。アイヌと沖縄の人はとてもよく似ていて、見分けがつきません。その後、弥生が進出してきましたが、沖縄、東北、北海道に濃い縄文の血が残っているようです。

北海道でも一番アイヌ文化が色濃いのは白老です。まだアイヌ語がたくさん話されています。

亡くなったときは、お墓に埋め、柱を立てます。お参りはしません。こういうところはハンガリーに似ています。

今のお年寄りは差別のひどい時代に生きてきたのでアイヌ語を話せない人が多いです。大学で学んだ若い人がアイヌ文化を継承しようとしています。先住民として国に認められ、近年法整備が進んできました。差別の話もたくさんありますが、今日はアイヌの良いところを紹介しようと思いましたので、その話はしません。今日のセッションが、アイヌに興味を持つきっかけになると嬉しいです。