#61(案内)ASAYANAGI featuring AKIKO YABIKI「Jazz Night in Tajima Connection」

「第61回 但馬コネクション」のご案内

2019年12月20日
” Jazz Night in Tajima Connection “

12月は、”ASAYANAGI featuring AKIKO YABIKI”ジャズ ・ライブ演奏を聴きながら年末の夜を楽しく過ごします。

ASAYANAGIは、勝地哲平(ギター)と田中愛子(ピアノ)のデュオ。音楽歴は共に6歳頃より始まり、それぞれのキャリアを経て故郷・養父市で2014年1月に結成。幅広い演奏曲目とクールな演奏スタイルが持ち味。

やびきあきこ(ヴォーカル)は、バークリー音楽大学(Berklee College Of Music米国ボストン) を卒業し、帰国後は主に東京で活動。2008年より出身地但馬に拠点を移し、Nandee(ナンディー)という愛称でライブ活動。米国プリンストン発、幼児教育プログラム「Music Together」の講師として「Nandee Music」(豊岡市)を立ち上げる。

スタンダード、バラード、ゴスペル、R&Bなど、クールでホットなジャズ演奏とNandeeこと やびきあきこさんの音楽談義を織り込みながら、リラックスした雰囲気で進行してまいります。

たくさんの方のご参加をお待ちしています。

日 時: 2019年12月20日(金) 19:00~22:00 (受付開始18:30)
場 所: ドーモ・キニャーナ(豊岡市日高町江原)
ゲスト: ASAYANAGI featuring AKIKO YABIKI
テーマ: 「Jazz Night in Tajima Connection」
参加費: 3,000円
※ 講演後、立食交流会があります。
※ 参加申込は、info@tajimaconnection.com までメールでお知らせ下さい。
※ 参加希望の方のみご連絡ください。
(先着40名様) (「満席」のお知らせはe-mail、HPでお知らせします)

#60(案内)平田オリザ氏(劇作家・演出家)「但馬に大学をつくる」

「第60回 但馬コネクション」のご案内

2019年11月15日(金)
テーマ 「但馬に大学をつくる」

11月は、平田オリザ 氏(劇作家・演出家)をお迎えし「但馬に大学をつくる」というテーマでセッションを進めて参ります。

但馬コネクションのゲストとして3回目のご登場です。過去2回は、「#16 新しい広場をつくる」(2014.9.19)、「#34下り坂をそろそろと下る」(2016.9.16)というテーマで講演いただき、またぜひお聴きしたいとの多数の声により、ここに実現となりました。

過去2回の講演で、「芸術は人々の心に直接働きかけ、コミュニティを維持し、経済、教育、観光、福祉などに影響を与えるもの」。「異文化を受け入れ、コミュニケーション能力を高めることが大切」であることを学びました。

3回目の今回は、まさにその実践でもある「国際観光芸術専門職大学」(2021年4月開学予定)の理念と将来ビジョン、そして但馬が、豊岡市が、どのように変化していくのか、但馬の近未来像をお聞きし、市民がどのように関わっていくべきか議論していきます。(平田氏は学長候補者であります)

さらに、2020年3月に「江原河畔劇場」(旧豊岡市商工会館を改築)がオープンし、「劇団青年団」(平田オリザ氏主宰)が東京から引っ越してきます。5年後にはアジアNo. 1、さらに世界で知られる演劇祭を目指し、2020年9月に「第1回豊岡演劇祭」がスタートします。

9月末に豊岡市に引っ越しされた平田氏とそのご家族や既に移住して来られた劇団員の方々もご紹介させていただきます。

たくさんの方のご参加をお待ちしています。

日 時: 2019年11月15日(金) 19:00~22:00 (受付開始18:30)
場 所: ドーモ・キニャーナ(豊岡市日高町江原)
ゲスト: 平田オリザ 氏(劇作家・演出家)
テーマ: 「但馬に大学をつくる」
参加費: 3,000円
※ 講演後、立食交流会があります。
※ 参加申込は、info@tajimaconnection.com までメールでお知らせ下さい。
※ 参加希望の方のみご連絡ください。(不参加のご連絡は不要です)
(先着40名様) (「満席」のお知らせはe-mail、HPでお知らせします)

#59(記録)「竹野はいいぞ!〜但馬の自然と暮らす〜」本庄四郎氏

2019年10月18日
テーマ:「竹野はいいぞ!~但馬の自然と暮らす~」
ゲスト:本庄四郎(但馬自然史研究所 代表)

司会:
本庄さんは、生物調査、環境保全、子供の自然体験教育、豊かな自然を次世代に残し、地域活性化を目指すNPO法人「但馬自然史研究所」で活動中。豊岡市の「子どもの野生復帰」活動の先頭に立ち、時には「大人の野生復帰」の指導も行う。

本庄さんの語りをまとめた冊子『但馬の自然と遊び』(但馬学研究会「但馬カルチャーVol.6」1998年発行)の中で、「遊び」とは「定義によって違うが、但馬の自然と遊ぶ中で、生きていて本当に良かったという時間。あるいはその気持ち。」と述べていらっしゃる。さらに「都会は全部がんじがらめで自分では、何もできないところ。」「田舎では水がどこから来て下水がどこに流れていくか、電気がどうなっているかも知っている。自分の存在価値が高い。最も進歩的な生活が実は田舎にあるのではないか」と提唱する。

今回のセッションでは、そんなところをベースに本庄さんのお話しを聞いていただければ、と思います。

竹野はいいぞ~!!
竹野のいいところは、遊びと暮らし。僕にとって生きていることが遊び、仕事と遊びの区別がつかないところ。

宇日(うい)の活動を駆け足で紹介します。
宇日(うい)は、四季いつでも美しいけど春はとくに美しい。ジオカヌーが楽しめます。6月にはスノーケリングが始まり、海藻だらけ。7月には雨がたくさん降って海に注ぐ滝が見られます。8月には村岡高校の地域創造学科の生徒も来てくれます。9月は長距離、カヌーで一番長いコース15㎞を行きました。浅いところに熱帯魚のいる世界が宇日。
フランス語のoui(ウィ)、We(ウィ)are the world なんです。

猪と鹿のソーセージ。(いのしし)は一番(いの)美味しい肉(しし)という意味。

鶏を飼っていて、大寒卵(だいかんたまご)は、冬の一番寒い時に産む希少価値のあるもの。卵の写真が世界中でインスタグラムが大流行していたみたいで、まるでうちの卵の写真が世界中を巡りまわっていたみたい。(笑)

私の目指しているところ
私の職業はネイチャーガイド、自然体験教室の企画実践。目指していることは、身の回りの生き物の記録。生き物の名前はみんな知りたいです。

自給自足的有畜小農。田舎暮らしの聞き書き。宇日のおばあちゃんたちに集まってもらって暮らしをしゃべってもらう。生き延びるための等身大の技術を伝える伝承と普及。例えば、火が起こせる、竹が切れる、木が切れる。昔の人が当たり前にやっていたことが出来る人が減ってきているので、子どもたちに伝えたいなと思っている。

司会:
生き物の暮らしとかの話しだと、本庄さんは、蜘蛛(くも)博士ですよね。自然を相手に遊んでいるところがすごいですね。

僕の人生、蜘蛛(くも)が好き。蜘蛛の巣を張るものや張らない蜘蛛タイプのものもいます。アカイロトリノフンダマシ。可愛らしい蜘蛛。高校の時に夢中になっていた蜘蛛。竹野町小丸に夕方行って蜘蛛を観察していました。綺麗でしょう。目玉模様でびっくりさせるものなのかな?諸説あります。

今は自給し、小家畜と暮らす有畜小農
山羊(ヤギ)をずっと飼っています。僕を見るとシッポを振る。自分の食べ物は自分で作って、小動物を飼っているので、うちはゴミがないです。どうかしたいときは山羊のモモちゃんに。何に使うか?除草です。冬は笹や豆がらを食べます。糞をすると肥料になる。循環しています。牛乳を買うことはありません。ヤギ乳ばっかり、余ったらチーズを作ります。

鶏を飼っています
自分で育てた鶏の卵で卵かけごはんを食べたい。鶏を孵化させるところから半年かけて実現しました。ドレミファという名前。

鶏飼いも長い。出石からもらってきた鶏のオスには最初から名前をつけようと、「から揚げくん」「ローストチキンくん」「サムゲダンくん」、目標が決まっています。いじめられていた一番小さい鶏が最後まで残っていて、鳴き声は「じゃじゃじゃじゃーん」、ベートーベンみたいに鳴きます。

お米を作って、ドリンクも作っています。大豆畑。生育したらワインの瓶で豆を収穫。麦を炒り、石臼で挽いて麹を振りかけ、水を入れる。何ができると思いますか?醤油です。竹野のイカを自家製醤油で食べる。おいしいですよ。

大豆を炊いて、麹、塩を加えて団子にする。何ができるでしょう。味噌を作る。小麦は自家栽培していません。みんな雀(スズメ)の餌になってしまったからです。

生き物たちが教えてくれる
どこにも必ず生き物が生息している。生き物との共存。興味が持てないことがない。生き物にはそれぞれ群集があってコミュニティを作っている。一つのものがいるわけではなくて、食べるやつがいれば、それを食べるやつもいる。そのコミュニティを見ていると、それぞれ特徴が出ている。田舎には田舎の、里山には里山の。高い山には山のワンセットがいる。気になってしょうがない。

川ならその川の持っている健全性を示しています。このワンセットがいれば、この川、めっちゃええ川やん、ということになる。他の川に行って、あいつとあいつが居れへんな、ちょっとこの川やばいんちゃう。というような見方ができる。そういうのを環境指標、生物多様性。僕が大学の時に論文として、これを書いたのですが、クモの多様度、土壌性クモの多様度。

そういうことを常に意識せざるを得ない。農業していてもそう、子どもと遊んでいてもそう。生き物からのメッセージ、自分はそのメッセージを受け取ることが出来ているからだ。といつも思います。

子どもたちとの活動のきっかけは、小学校の校長先生から子どもら集めて何か面白いことをしてくれへんか?という依頼があった。大草原の小さな家のローラの物語を参考にして、石鹸をつくる。肉を焼く、油が灰にジュウジュウ落ちてくる。それを固めると洗い物の石鹸になる。スジ肉や脂身で子どもたちと石鹸を作ったのが始まり。

公民館からお声がかかり、子どもとやることが楽しい。たけのこ学園、スノーケルセンターでは土曜観察会から始まり、市が合併して子どもの野生復帰や環境学習に。生き物は遊びにとって必須で、不可欠なこと。生き物のとのふれあいは、核心の部分、ハートがある。

無名なものが好き
人があまり(研究を)やらないものが好き。蝶々(ちょうちょ)がおもしろいと今頃気づいた。土の下のゲテモノが好き。トビムシ、ササラダニ。目の代わりになっている胴感毛。日の目を見ないもの。何億といる。土の落ち葉を食べるダニ。私の興味の対象。目のないもの。土壌動物。

川の生き物。10月になったら見られるもの。鮭もそろそろやってくる。あゆかけ、石化けの天才。子どもの頃、自転車のスポークを直角に折り曲げて、竹に挿して、ゴムがないから、パンツのゴム。ヤスを作り、魚を捕まえていた。あゆかけを捕まえた時の感動。福井県では研究するところがないので、今年も竹野川に来ている。ヤツメウナギもいる。竹野では川と海を行ったり来たりする名前のない生き物いる。絶滅危惧種がたくさんいる。川歩きを増やすことが川を守ることにつながる。

里山の生き物~人の暮らしと共に~
猪(いのしし)が暴れた跡にコウノトリが来ている。草刈が出来ているところに彼岸花が見える。草刈が出来ていないところは、姿を隠している。ハクビシン、今年はトマトが食べられなかった。柿の中身だけなかったから、餌にして仕掛けたら捕獲できた。

次は、海の生き物。2005年の朝、渚に100匹エチゼンクラゲが揚がっていた。死滅回遊魚が竹野にはいます。アメフラシ、食べられる。イルカが100匹来ている。カツオカンムリ、イカナゴは、夏は砂に潜って寝ている。ヤマトメリべはウミウシの仲間。近寄るとグレープフルーツの匂いがする。

ひかる生き物がいろいろいます。ウミボタル、ミジンコの一種。夜光虫はプランクトンで5月の波が止まる時に夜、光ります。リュウグウノツカイの隣に寝そべっている彼はレシピとして1冊の本を書いた。個人的にはオレンジの肝が美味しかった。

里山のかかえている問題(イノシシ、シカが増えている・・・)

しばらくペーパー猟師だったが、罠、くくり罠を広い場所にかけるとかなりの確率で猪(イノシシ)が掛かっている。この大きい猪と5時間格闘した。やがて肉になる。かなりの人が助かる。シシかつ、シカとイノシシをミックスしたソーセージ、シカは竜田揚げ、イノシシのバラ肉はお好み焼きにするとうまい。

バイオリージョナリズム(生命地域主義)
人間の暮らしている場所と川、里山、田畑、一つの循環系(生態系)で生きているという感じ。竹野をつくっている。

語り部たちから教わる。
直撃インタビューを広報紙に載せていた。原稿にしたことは少しだが、たくさんの話しを聞いてきた。70代の人はあまりにも何も知ってない。80代以上の人がモノを知っている。炭焼きの人、海藻で鶏を育てている人、北野屋さん牛飼いの方・・・。

背負子の編み方、知っている人がいない。みなさんの知識はお一人が図書館1~2館分くらい、市がそろそろ記録をとらないと。身の回りの自然をしっかりと把握して暮らす。 僕たちにとって、5km圏内の話、台風や風で塩が飛んでくる。毎日知らないことばかり。毎日散歩しているところに現れる。

ナマコの茶漬け。うまいぞ~。海藻のソゾ。春の野草を食べる会。夏は、サツキマスをスモークして、パスタに。子どもたちと鮎を突く。60℃の石の上でアユを開き干しに。

 海藻は目の前にうじゃうじゃ。赤いのがスギノリ。うまい!カヌーの長距離の時は、途中でカメノテとスギノリで味噌汁。オコゼは刺されるということもあるが、オコゼ汁、刺身まで。

子どもたちと竹の切り方、利用の仕方。「ノコギリを持ってきてくださいなんて」授業はないでしょ。「明日から3日間水路を掘ります。現地集合、泊まってもいいです。」って学校があればいいのに(笑)こんど養父市でロケットストーブやります。ロケットストーブでサザエのつぼ焼き、調味料はいりません。海水だけで美味しい。

 昨年までものすごくきれいな散歩道だったのに今年は荒れてしまっている。管理している方が入院されているようで、外来植物がチャンスを見つけてパイロット的にどんどんやってくるという事態が起きている。1年起ったら・・・10年先が見えてしまう。本来なら雪が降って、色々ものが鎮圧されてリセットされて次の春の順番待ちしているが、草刈がしてないと、今までと変わってくる、という残念な未来が見えてくる。

さあ 遊ぼうぜ!

私たちの暮らしが景観をつくる
耕作放棄地がどんどん増えて来ていて、どうするかというのがこれからの鍵になります。これも耕作放棄地、これからは子どもたちにどんどんビオトープで遊んでもらう。荒れ放題だけど、川を歩くだけで川がきれいになる。歩くだけ、歩く川掃除。遊びましょう。但馬で暮らす。遊びながら暮らす。生き延び方を子どもたちに教えないと、我々の未来はない。子どもたちの未来もないと思います。

カニがスマイルで言っています。

#59(案内)本庄四郎 氏(但馬自然史研究所 代表)「竹野はいいぞ!〜但馬の自然と暮らす〜」

「第59回 但馬コネクション」のご案内

2019年10月18日(金)
テーマ 「竹野はいいぞ!〜但馬自然と暮らす〜」

10月は、本庄四郎 氏(NPO法人「但馬自然史研究所」代表、豊岡市竹野町在住)をお迎えし「竹野はいいぞ!〜但馬の自然と暮らす〜」というテーマでセッションを進めて参ります。

いつもそばにある自然。ふと立ち止まって暫し観察してみると、たったの10年の間でも、山、川、海の大きな変化に気づき、驚きます。地球の環境も変わるけど、もっと大きな変化は、私たちの生活スタイルかもしれませんね。身近だった自然がだんだん遠くなる。

本庄氏は、生物の調査、環境保全、子どもの自然体験教育、豊かな自然を次世代に残し、地域活性化を目指すNPO法人「但馬自然史研究所」を立ち上げ活動を行っています。豊岡市の「子どもの野生復帰」活動の先頭に立ち、時には「大人の野生復帰」の指導も行なう「野生と暮らす」トップランナー。

竹野川をカヤックで下り、素潜りでアユを捕まえ、深夜の竹野川でオオサンショウウオを見つけ、眠るコイのお腹をさすったり。真冬新雪アニマルトラッキング(動物の足跡探検)。山に1日中じっと腰を降ろし、目前を往来する野生動物を定点観察。活動は本庄氏の「暮らし」そのもの。『新・生きもの探訪記』(朝日新聞)連載中。

但馬の自然を、再認識し、探求し、取り込み、飛び込み、遊び、楽しみたいですね。その極意を伝授してもらいましょう。

たくさんの方のご参加をお待ちしています。

日 時: 2019年10月18日(金) 19:00~22:00 (受付開始18:30)
場 所: ドーモ・キニャーナ(豊岡市日高町江原)
ゲスト: 本庄四郎 氏(但馬自然史研究所 代表)
テーマ: 「竹野はいいぞ!〜但馬の自然と暮らす〜」
参加費: 3,000円
※ 講演後、立食交流会があります。
※ 参加申込は、info@tajimaconnection.com までメールでお知らせ下さい。
(先着40名様) (「満席」のお知らせはe-mail、HPでお知らせします)

#58(記録)「『日本画』にいたるまで」澤木政輝(毎日新聞記者、京都造形芸術大学非常勤講師)

2019年9月20日
テーマ:「日本画」にいたるまで
ゲスト:澤木政輝 氏 (毎日新聞記者、京都造形芸術大学非常勤講師)

実家が祇園でお茶屋をしていたことから、身近に日本文化に触れていました。毎日新聞学芸部で古典芸能と技術を担当。日本で最も古い歴史を持つ京都市立芸大の創立130年をきっかけに、作家や遺族に話を聞いて足掛け5年間連載を書きました。この連載を通じて得た知識をお話します。

日本画=日本で描かれる絵ではない。
「日本画」というのは、明治以後にできた概念で、洋画が入ってきたとき、それに対する概念として出てきました。それ以前の画は本当の意味での「日本画」ではなく日本の伝統絵画です。今日は、伝統絵画の流れが最終的に「日本画」にまとまるまでをお話します。

そもそも「美術」というのも輸入された概念です。日本にも、ふすまや掛け軸に描かれていた画はありましたが、展覧会芸術的なイメージのアートはありませんでした。日本における「絵師」の位置は、「画家」とは違っていました。生活の中に画がありました。「画工頭(えたくみのかみ)」といって、宮中で画を描く日本最高の絵描きも「画工」と呼ばれていたのです。

明治以降は2つの流れ。実用性と純粋芸術
明治以前、大名から禄をもらったり、神社などに所属したり、商人から頼まれるなどして描いていた絵師は、明治に入るとみんな路頭に迷うことになります。そんな中、京都画壇は、学校をつくり、学校を軸に生き残りを図る動きに出ました。絵は百技の長なり。それを文明開化の世の中で生かし、産業の助っ人になれる人を養成するために、学校が創られました。

もう1つの流れは、純粋芸術の方向です。これは西洋から入ってきた芸術の概念です。

「日本画」の概念の登場
「洋画」という言葉は日本にしかありません。これは、日本人が描いている洋風の画を指す言葉です。西洋絵画と日本絵画があり、日本絵画の中に洋画と日本画があるわけです。

明治になって入ってきた西洋絵画のリアリズムは、日本の画家たちに衝撃を与えました。洋画は対象を忠実に再現することを目的とするのに対して、日本画では、生きとし生けるものに神が宿るという日本の宗教観が表現されます。

日本絵画の展開
大和絵
日本で現存する最古の画は高松塚古墳の壁画です。おそらく中国の人が描いたか、中国の人に学んで描いたと思われます。

日本独自の画が始まるのは、894年の遣唐使廃止からで、大和絵が始まりました。平安時代後期~末期の絵巻物が知られていますが、それ以前のものは残っていません。

大和絵の特徴は、引き目鉤鼻。そもそもリアリティは目指していません。主に室内を描くため、手前よりも奥を広く描く逆遠近法が取り入れられるなど、現実世界にはない描き方です。輪郭線をきっちり描くのも特徴です。油絵は光をとらえて描きますが、大和絵はイラスト的です。大和絵(「土佐派」)は、幕末まで続く流れの1つとして発展していきます。

漢画
もともとの日本の流れに海外からの流れが入ってきて化学変化が起こります。鎌倉時代中期から室町時代初期、中国の宋、元の時代に、主に墨を使う山水画の技法が成立しました。これが日本に取り入れられ漢画として大流行。雪舟など、禅宗の世界を描くのに都合が良かったようです。

漢画の力強い動線に色を貼ると狩野派の和漢合法となります。屏風やふすま絵にピッタリなため、寝殿造から書院造に移る過程で重宝され、絵師は、お抱え絵師として活躍しました。漢画の狩野派として、こちらも幕末までつながっていきます。

琳派
琳派というのが、突然現れます。1615年に本阿弥光悦が徳川家康から京都の北に土地をもらい、一大芸術村を開設し、俵屋宗達らと一大ムーブメントを巻き起こしました。その後も、絵そのものを狩野派に習い、昔の琳派にシンパシーを覚えて描く人々がちょうど100年おきに現れています。「風神雷神図」など同じモチーフで描かれた作品も多いです。琳派は、形をデザインでとらえているのが特徴で、今のデザインにも通じています。薄い絵の具の上から乾かないうちに他の絵の具を重ね濃淡の差をつくる「たらし込み」という技法を用います。

南画
中国の明代、琴棋書画に通じないといけないインテリの余技として、文人画(南画)が盛んになりました。これが日本の江戸中期に入ってきて南画として展開しました。

筆の使い方は雪舟当時の民の漢画に近く、漢詩、詩文の世界を描きます。大事なのは「賛(さん)」(字の所)で、原点となる漢詩があります。職業画家ではない人が余技として描くのが本来ですが、この手の画にはニーズがあり、文人画っぽい絵を描く職業画家が出てきます。江戸末期~明治初期にかけては南画(と洋画)が大流行しました。この手の画はいまだに需要があります。

江戸後期、江戸では浮世絵が全盛期を迎えます。版画によって需要が喚起され、床の間にかけて奉るものではなく、今でいう写真週刊誌的に気軽に手に入れるものとなりました。需要があり、数も刷れるので大流行りしました。

写生画
ほぼ同時期に円山応挙が描き始めたのが写生画です。長崎に入っていた洋画、清から入ってきた細密画に影響を受けました。それ以前は、師匠のお手本を見て描いていましたが、実際に目の前のものを見て写し取るという、リアリティを求める動きに戻り、大成しました。

それまでの日本の画と違い、輪郭線を書かずに、筆全体に水を含ませ薄い絵の具をつけ、濃い絵の具を先っぽだけに付けて描く「つけたて」というのも、応挙が生み出した技法です。もともと狩野派に学んだので狩野派の技法を引き継いでいます。

応挙の20歳下の呉春は、南画を学びましたが、南画にはないリアリティを生み出します。写生画の中に南画的な情感を盛り込んだ画といえます。これが流行り、四条派となります。円山派も四条派も写生画。〇〇派というのは、技法ではなく、画家のグループを指します。

応挙が出る少し前に現れたのが若冲らです。当時は狩野派そのものがつまらないものになっており、いろんな人がもがき、最後に応挙の写生画に至るのですが、その前段階でもがいていた人たちです。彼らは「奇想の系譜」と呼ばれています。

日本絵画の文明開化
京都画壇では幕末にかけてさまざまなグループが活躍していましたが、明治になると学校を作り、京都画壇全体で新しい流れを模索するようになります。洋画の影響を受けて、洋画のリアリティを取り入れていくことになりますが、応挙の写生画が、西洋的な写実を受け入れる土壌となりました

近代日本画の先駆者、竹内栖鳳は、パリ万博の視察でヨーロッパに渡りターナーに触れ、写生というより写意の方向性を見出します。ここから、洋画のリアリズムと対象の精神性を写し取る日本画が成立していきます。栖鳳の「金獅子」には、単なるリアリズムではなく、獅子の内面が垣間見える表情が描かれています。円山四条派のつけたての技法を用い、日本的な線描を使った方法で柔らかさを出しつつ、西洋のリアリティと日本絵画的な対象の精神性を写し取ることで評判となりました。

日本画と洋画の最大の違いは、陰影があるかないかです。大正時代になると日本画にも陰影が取り入れられるようになりました。また、西洋の絵画と日本の絵画の最大の違いは余白のあるなしです。日本の画には余白があります。どこかの世界を切り取ってきたものではなく、実際にあったものを象徴化し、胸の中で熟成して描いたものが日本画といえます。

1回目の「能を楽しむ」の再現も

#58(案内)澤木政輝 氏(毎日新聞記者、京都造形芸術大学非常勤講師)「『日本画』にいたるまで」

「第58回 但馬コネクション」のご案内

2019年9月20日(金)
テーマ 「『日本画』にいたるまで」

9月は京都より、澤木政輝 氏(毎日新聞記者、京都造形芸術大学非常勤講師)をお迎えし 「『日本画』にいたるまで」というテーマでセッションを進めてります。

澤木氏は、但馬コネクション「#42五感で楽しむ能」(2017年9月)に引き続き2回目になります。日本の美術にも大変造詣の深い澤木氏。今回のテーマは「日本画」です。

みなさんが「日本画」と聞いて思い浮かべる絵はどんな絵でしょうか。風景画や美人画、あるいは絵巻物や襖絵、浮世絵でしょうか。日本では古代からさまざまな種類の絵が描かれてきました。 「日本画」は明治維新の後、西洋文化の急激な流入にあった当時の日本の画家たちが、それまでの絵画を整理し、西洋絵画に伍する美術概念として再生したものです。

今回のセッションでは、土佐派や狩野派、円山派、四条派など、明治維新の前段階、江戸時代末期の時点での日本絵画の各流派の特徴を、実物を見ながらご紹介します。日本の伝統絵画がどのような展開をたどってきたのかを概観し、あわせて「日本画」の誕生にいたる経緯を学びます。

日本の文化をもっともっと知り、楽しみたいですね。
たくさんの方のご参加をお待ちしています。

澤木政輝(さわき・まさてる)プロフィール
1973年、京都市生まれ。京都大学法学部卒業。1998年に毎日新聞社に入社し、大阪本社社会部、学芸部などを経て京都支局記者。専門誌などで演劇評論家、美術評論家としても活動。2015年から京都造形芸術大学非常勤講師を兼ねる。著書に『京の美 都の響~京都芸大百三十年の歩み』(2011年、求龍堂)、『見る・知る・読む 能舞台の世界』(2018年、勉誠出版、共著)、『祇園の祇園祭~神々の先導者 宮本組の一か月』(2019年、平凡社)がある。

日 時: 2019年9月20日(金) 19:00~22:00 (受付開始18:30)
場 所: ドーモ・キニャーナ(豊岡市日高町江原)
ゲスト: 澤木政輝 氏(毎日新聞記者、京都造形芸術大学非常勤講師)
テーマ: 「『日本画』にいたるまで」
参加費: 3,000円
※ 講演後、立食交流会があります。
※ 参加申込は、info@tajimaconnection.com までメールでお知らせ下さい。
※ 参加希望の方のみご連絡ください。(不参加のご連絡は不要です)
(先着40名様) (「満席」のお知らせはe-mail、HPでお知

2019年夏休みのお知らせ

7月、8月は、夏休みとさせていただいています。

次回の但馬コネクションは
2019年9月20日(金) 19:00〜

次回のご案内(ゲスト・テーマ)は、
8月末ごろにこのサイトにてお知らせの予定です。
(会員様には、メールにてご連絡します)

会員数は現在338名。
(現会員のご推薦により会員登録をさせていただきます)

2019年5月(#56)までの全ての「記録」をアップしました。
このページの「セッション記録」をご覧ください。

過去の記録(#1〜#45)は、
セッション記録(旧・但馬コネクションの記録・報告ページ)
をご覧ください。

秋セッションも全て決定しています。素敵なゲストに続々登場していただきます。但馬コネクションで出会い、学び、語り合いがより実りあるものになることを楽しみにしています。

#57(記録)「ビールの時間ですよ〜」川面克行 氏

2019年6月21日
テーマ: 「ビールの時間ですよ~」
ゲスト: 川面克行氏 (アサヒグループホールディングス株式会社 社友)

アサヒビールの醸造部長としてビール一筋に歩み、副社長まで務められた川面さんに「これぞビール」を語っていただきました。

ビール豆知識
ビールに使われる麦は二条大麦。ホップはすべて雌株を使用します。日本で主流の生ビールは熱処理されていないビール。ではラガーは熱処理されているのかというと関係なく、低温で長期醸成されるビールがラガービールと呼ばれます。ビールの小売価格の45%は税金。ビール造りは古代エジプトで5000年前に始まりましたが、日本に伝わったのは江戸時代。

ビール瓶が茶色く着色されているのは、ホップ成分と紫外線の化学反応によって日光臭という不快な臭いをふさぐため。瓶ビールの633mlという容量は、は昭和15年の酒税法制定の際に当時使用されていた一番小さいものに統一して決まったものです。酒類のテレビCMは午前5時~午後6時まで自粛するとビール酒造組合の自主基準で決められています。

「ここでクイズ10問です」と。
ビールに関するクイズで一気にビールの世界へ!
知らないことだらけでした!

グラスに注いだビールの泡を少しでも長持ちさせるには?

皆さん興味津々。
少し上から注ぐ、しばらく待つ。うまく傾けて下の液だけ飲み、注ぐ。また下の液をすすりなおし、もう一度注ぐ。泡の上にタンパク質の粒子を作らせることで泡が長持ちするんだそうです。是非やってみてください!

ビールの起源は諸説ありますが、紀元前3000年メソポタミア地方のシュメール遺跡から記録が出ています。腐ったパンの汁のようなものをすすっていたようです。その後、バビロニア、エジプト、北ヨーロッパにも伝わり、中世になると教会や修道院でビール造りが広まります。そのうち、原料にホップが使われるようになりました。

1516年、ドイツバイエルンで「ビール純粋令」が交付され、ビール原料は麦芽、ホップ、水、(後に酵母)以外のものを使ってはならないとされました。当時のビールはメルツェンタイプで、夏場、衛生上の理由でつくることができませんでしたが、19世紀以降、リンデの冷凍機(低温熟成四季醸造が可能に)、パスツールの低温殺菌法(腐敗防止、工業製品化)、ハンセンの酵母純粋培養法の開発で、ピルスナータイプビールの製造が可能になりました。

ビールの歴史をちょっと振り返って
日本では、1853年に川本幸民が自宅で試醸したと言われます。1870年のスプリングバレーブリューワリ(…→キリンビール)を皮切りに、1876年に開拓使麦酒、1872年に渋谷ビールなど、各地に醸造所が立ち上がりましたが、合併を経て一時は大日本麦酒が75%の圧倒的なシェアを持つようになりました。しかし、過度経済力集中排除法により、1949年、大日本麦酒が日本麦酒(→サッポロビール)と朝日麦酒(→アサヒビール)に分割されます。3社の寡占が続いていましたが、1963年のサントリービールにチャネルを開けたことでアサヒビールは窮地に陥ります。熾烈なシェア争奪戦のなか、アサヒビールが夕日ビールと呼ばれるように。

新しい概念のビール
新しいビール、スーパードライのコンセプトは、辛口。DRYでした。これを技術翻訳すると、ビールの最終発酵度を上げる、アルコール度数を上げる、苦みを抑え苦みの質を上げるということになります。他社との差別化を図る決め手は酵母です。使用する酵母、原料の配合、仕込み条件などを吟味する必要があります。しかし、技術や伝統を変えることは簡単なことではありません。相当な設備投資も必要になるほか、酵母を変えることのリスクも読み切れません。

新商品は完成しましたが、経営会議ではリスクを背負うことに反対が多く、とりあえず100万函のみ販売してよいとの許可が出ました。昭和62年3月に発売し、その年に1350万函を売り切りました。当時の樋口社長が、金のことは心配するなと、1兆4000億の借金で設備投資し、工場設備能力を増強してくれました。

酵母が麦汁中の糖分を全部取り込んで分解すると雑味がなくなり、辛口になります。他のビールは甘味がけっこう残っていたので、消費者にすっきりわかってもらえました。アルミの地肌をそのまま使ったデザインもハマりました。中身と言葉が一致しているということで、最初は落合信彦のイメージ。その後、主飲者がおじさんから若い男性、女性に変わってきたことで、女性客の取り込みが必要になり、福山雅治にキャラクター交代しました。

スーパードライ発売から32年が経ちましたが、ビール香味の劣化との闘いは永遠の課題です。また、常に同じものをつくることの難しさもあります。ブランド力の維持、技術や技能の継承も課題です。今の若い人はソフトの使い方はわかっても、ビールの味がわからないからです。

ここからが本題。あなたは上手にお酒と付き合っていますか?
アルコールは胃から20%、小腸で80%吸収され、血液中で最後は炭酸ガスと水に変わっていきますが、早く変わる人、なかなか分解が進まない人があります。実は、分解能のあるなしは、血液中の酵素をつくれる遺伝子があるかどうかで決まっているのです。

アルコールが脳にどんなふうに作用するかご存知ですか。(抑制を司る)大脳皮質にアルコールが入ると抑制が解かれ、日頃と違う朗らかさが出たりします。(運動を司る)小脳から(記憶を司る)海馬に入ります。衝撃を受けると海馬が揺れて強い記憶となりますが、海馬にアルコールが入ると記憶がなくなります。その後、(生命維持を司る)脳幹に入ると、自動的な呼吸などができなくなることもあります。

お酒の強くない人はアルコールを分解できないので、脳幹まで行ってしまう恐れがあります。お酒は食事と一緒に飲むと、血中濃度の上がり方が緩やかになるので、食事と一緒に飲みましょう。

お酒に強い遺伝子を持っているかどうかは、エタノールパッチテストでわかります。エタノールを含ませた絆創膏を皮膚に貼り、7分後にそっとはがして、色が付くかどうか見てみます(A)。
そして、もう一度貼り戻し、また色を見ます(B)。

チェックポイントAで赤くなった人は、お酒を飲めない体質。
チェックポイントBで薄い色が付く人は、お酒に弱い体質。
チェックポイントA、Bで変化がなかった場合は、普通に飲める体質です。

アルコール依存症について
大ビン3本を毎日10年間飲み続けるとアルコール依存症になる可能性があります。鬱とアルコール依存症は同じように始まります。飲める人は特に注意が必要です。飲んだ量を少なくごまかして過少申告する人は、お酒に対する罪悪感があるということで、依存症の危険があります。依存症の見極め方の一つですので、注意してください。

ビールを愛するがこそ、心身を壊すことなく楽しんでほしいという川面さんのビール愛がひしひしと伝わってきました。

#57(案内)川面克行氏(元 アサヒグループホールディングズ 代表取締役副社長)「ビールの時間ですよ〜」

2019年6月21日
テーマ「ビールの時間ですよ〜」

「第57回 但馬コネクション」のご案内

6月は、川面克行 氏(元 アサヒグループホールディングズ株式会社 代表取締役副社長)をお迎えし「ビールの時間ですよ〜」というテーマでセッションを進めて参ります。

川面氏は、大阪大学工学部発酵工学科で発酵を学び、アサヒビール入社。ビール造り一筋に歩む。日本のビール業界の熾烈なシェア争いの中で、美味しさ、新鮮さ、常に同じものを造る技術技能の確立にとり組んで来られました。醸造部長、商品開発部長、代表取締役副社長と、製造、販売、経営の責任者を歴任された経験と実績に基づき、「これぞビール」を語っていただきます。

ビールの起源は?(人類のビールの歴史)
ビールができるまで?(醸造工程)
日本のビール会社の変遷(シェア争い)
ビールを美味しく飲むためのコツ(注ぎ方は?グラスは?適温は?保管は?)
アサヒスーパードライ誕生秘話
ビール(お酒)に強い弱いはなぜ?(世界の人々のアルコール体質)

など、など。

もっと知って、もっと美味しく、もっと健康に飲みましょう。
ビールで乾杯!

たくさんの方のご参加をお待ちしています。

川面克行(かわつら かつゆき)氏 プロフィール
1975年大阪大学工学部醗酵工学科卒業。アサヒビール吹田工場や博多工場の醸造部長など経て、2000年吹田工場副工場長、04年商品技術開発本部長、07年酒類研究開発本部長、10年常務取締役、11年アサヒグループホールディングス常務取締役、14年 代表取締役副社長。16年退任、以後社友として後進の指導。

日 時: 2019年6月21日(金) 19:00~22:00 (受付開始18:30)
場 所: ドーモ・キニャーナ(豊岡市日高町江原)
ゲスト: 川面克行 氏(元 アサヒグループホールディングズ株式会社 代表取締役副社長)
テーマ: 「ビールの時間ですよ〜」
参加費: 3,000円
※ 講演後、立食交流会があります。
※ 参加申込は、info@tajimaconnection.com までメールでお知らせ下さい。
※ 参加希望の方のみご連絡ください。(不参加のご連絡は不要です)
(先着40名様) (「満席」のお知らせはe-mail、HPでお知らせします)

#56(記録)「食からもう一度健康を見直しましょう〜なぜ磁性鍋が生まれたか〜」河野武平

2019年5月17日
テーマ:「食からもう一度健康を見直しましょう〜なぜ磁性鍋が生まれたか〜」
ゲスト: 河野武平(株式会社性膳 代表)

マイクロ波を波長転換し、安全で自然の味覚を維持しながら調理できるという磁性鍋。磁性鍋の開発に駆り立てられた思いをお聞きしました。

昭和46年ごろから「食」に関わり始めました。昭和46年といえば、マクドナルドが日本に上陸した年です。食材をどうするのか。実はマックが始まって初めてレタスの産地ができました。また、マックは夏場が一番売れることから、真空冷却装置も必要になりました。真空冷却装置は当時日本になかったため中古の装置を入れてみるところから始まりました。最近では上勝町のいろどりにも関わるなど、地域おこしを兼ねた「食」について講演しています。

自然耕房あおきのご主人が亡くなってから、3年間で700日ボランティアに通いました。あの素晴らしい畑を失ってはいけない、食の問題を解決したいという思いからです。

日本はガンの罹患患者が増加しています。亡くなった原因よりも罹患の原因を調べないといけないのですが、そういった調査はありませんでした。2016年に初めて調査が行われ、今年発表になりました。しかし、日本にはデータはあっても読んで解析し、改善しようとする人がいません。

データを見ると、生殖機能に関するガンが急増し、全体の25%にまでなっています。10年前、乳がんや膀胱がんになる犬が多発しました。鴨川の河川敷の除草剤が原因と考え、宮内庁に手紙を書いて中止してもらいました。いま、除草剤を使っていない田んぼ、畑はあるでしょうか。わずか1%しかありません。また、すい臓がんも増加しています。 罹患後の寿命が一番短いガンです。

環境と食事の問題が大きいのですが、マスコミや厚生省はきちんと解析していません。

意味不明な認知症対策
高齢者が施設に入ると認知症が増えます。これは栄養計画に問題があるからです。施設では日本食品標準成分表に基づいて栄養計画がつくられます。栄養士はそこに書かれた栄養成分があると思って献立を作りますが、最近の野菜には書かれているほどの栄養がありません。経済的コスト優先で作られてきたからです。そのため、栄養失調になり、ミネラルの不足で症状が悪化するのです。

オーガニックが良い悪いではなく、イオン化されたミネラルがどのくらい入って栽培されているかが大事です。ミネラルが不足すると脳の起動、回転が遅くなり、認知症がスタートします。大幅な認知症増加について、食の問題なのに指摘されていないのが問題です。

がんは、複合的な自己免疫低下によって起こります。これらの要因を減らしていくことで病気が治る。まず要因を知ってそれを軽減することがすごく大事です。そのなかでも、「口径的な生活習慣からの要因」というのが食の問題です。食について無関心では自分の健康を保つのが難しい時代です。他人任せでも難しい。自分で改善していくためのプログラムを作ることが大事です。

自然のサイクルに沿ったリズムで生活することが大切。まずは空腹をしっかり知ることです。朝起きてお腹が減らないのは最悪です。人間は食べるために働いています。忙しいと言い訳せず、きちんとしたリズムで働き、自分の最適リズムを考えていくよう心掛けるべきです。

世の中には健康雑誌が判断していますが、肥満学会のトップがメタボの典型でがっかり。さらに、製薬会社の団体の支援で学会が形成されていることにも不信感を抱きます。商品を売るための本では、バイブル商法とドクターが結びついています。自分で研究していないことを書くドクターもいます。

高度医療は地域の健康に寄与しているでしょうか。MRIは1台で10億円。償却費、維持費がかかります。病院は、病人が増えないと儲からない仕組みになっています。いかに病気にならないかは大事ですが、他人任せではダメです。

食品関係の問題
生鮮食品が減り、惣菜売り場が増加しています。鮮度の悪いものや、丸ままではなくカットされた食材も多くみられます。味の感覚が落ちた分を調味料でカバーしている状況です。

鶏は180~185日で卵を産み始めます。500日で採卵減少し、廃棄処理されます(廃鶏)。後ろを向かず、土を踏まずに一生を終える鶏もいます。病気にならないように抗生物質がたくさん使われます。食物工場ではほうれん草を25日で作ることができます。こうした結果、農産物の品質が低下しています。経済を優先するからです。東京は人間もこの状態。

ロンドンオリンピックでは、「基本的にオーガニック」が基準でしたが、同じ基準では日本で食材を集めることができません。なぜオーガニックなのかというと、ミネラル補給できる食材でないと選手の体がもたないからです。日本で作られている食材では量を食べてもミネラル不足で選手がもたない。ミネラルはサプリメントではなくイオン化したものを吸収しないと意味がありません。

日本ではオーガニック農産物はわずか1%。あまりにも食材が悪すぎます。農家の側にも責任意識がありません。レベルが落ちている。健全な農産物を作り、供給していく責任意識が欠けていることが大きな問題です。日本は何よりも農業、農産物を変えないといけない。地域おこしは、本当は農業からやるべきです。日本の農業は除草剤と農薬で畑をつぶしてきました。これを改善し、有機農業に向かわないとミネラルや酵素が豊富な健全な農作物はできません。この問題には誰も触れようとしませんが、農業生産のありかたを見直さないと健康は維持できません。

なぜ日本で有機農業が持続できないのか。生産者は既存の農業に慣れすぎています。年金で暮らしている高齢農家ほど既存の農業を選ぶ傾向にあります。若い人が農業を支えないといけません。また、家庭で調理する人も極端に減ってきました。ここも改善する必要があります。オーガニックというのは、生産者と消費者が社会的モラルを共有しないと維持していけません。畑の手間3~4倍かかる一方、収量は半分です。このことを一般消費者と共有していかないと持続できません。サラリーマンもボランティアに行きましょう。

良い食材は畑に出ないと判断できません。一番美味しいときの作物というのは実際には供給できないのです。既存の野菜流通は、約30年前に中央市場の仲卸の人がやりやすいように、儲かるように作られたものなので、まったく新しい野菜の流通が必要です。作物にはもっと美味しい時期があり、微量栄養素の塊のようなものもあるのですが、流通に乗ることはありません。流通を変え、生育過程で眠っているものを起こさなければなりません。これは社会的モラルを共有しないとできないでしょう。

磁性鍋
磁性鍋は、電子レンジ専用の調理器具です。電子レンジは電磁波が出るから危険と思っていませんか。「電磁波」という言葉は、太陽から注がれる波長全部を指します。電磁波がないと、生命が成り立たない。電子レンジの問題は、マイクロ波の波長を使うことです。

電子レンジのマグネトロンは、アメリカで開発され、日本で製品化されました。アメリカ人がレーダーを浴びた時にチョコレートやガムが溶けたことから、調理に使えるとのヒントを得たといわれています。

日本では便利に使われている電子レンジですが、ロシアやドイツでは禁止されています。電子レンジの危険性の研究は日本ではされていません。電子レンジを安全に使うために考えて作ったのが磁性鍋です。酸化還元反応による加熱で古くなったコーヒーが元に戻るなど、21世紀の新しい科学を導入した鍋です。

ガス火力の場合、食材に影響するエネルギーは最大でも20%。その他は空中に飛散します。IHでも40%しかありません。その点、電子レンジはエネルギー転換効率が高いので調理が速いのです。

しかし、電子レンジには大きな問題があります。1つには、分子と分子の回転摩擦熱で温度が上がる性質を利用しているため、タンパク質の分子が切れてしまいます。異形タンパクによって食物アレルギーが起きる恐れもあります。実際、電子レンジの普及でタンパクアレルギーが増加しています。また、トランス脂肪酸や酸化・糖化が増え、ビタミンが半減するなど、栄養が破壊される問題もあります。さらに、溶けたプラスチック容器の成分が食品とともに口に入ることも問題です。

こういった問題を日本ではマスコミが書かないのでみんな知りません。マスコミにとっては家電メーカーが最大のスポンサーだからです。タンパク質のアレルギー疾患はレンジの普及とともに増加してきました。お母さんが電子レンジ調理に慣れすぎると子どもにも影響します。

食品には吸収できる波長が決まっていて、吸収波長でないエネルギーを与えても美味しくなりません。農産物は好天が続くと赤外の波長の影響で美味しくなりますが、吸収できる波長にシフトしてエネルギーを与えると効率的に美味しく調理することができます。一番波長の良いセラミックの中に、還元反応を起こすマンガンフェライトを入れ、吸収したマイクロ波を遠赤外線に転換します。マイクロ波の漏れはなく、全部吸収されます。そのままだとマイクロ波が飛び出す。電子レンジは、携帯電話の40~100万倍のエネルギーを使っています。

美味しい調理は科学的に証明することができます。磁性鍋を使うと、アミノ酸(旨味)が増え、美味しくなりますし、水を入れないので旨味が凝縮されます。だれでも簡単に調理できるので、みんなに調理してほしいです。「料理は科学」と教えると男性もやろうとします。ぜひ自分で調理してください。